飯沼正明飛行士近影

「神風号」記念切手
 飯沼正明飛行士をご存じだろうか。
年輩の方ならば、「神風号」の操縦士と言えば思い出されるかもしれない。

 昭和12年、リンドバークの大西洋無着陸横断で世界が湧いた、
その同じ時期に、東京ロンドン間約1万5000Kmをたったの94時間で飛行した
2人の若者がいた。
 飯沼正明飛行士と塚越賢爾機関士である。

 彼ら2人は朝日新聞の航空部員として、純国産機「神風号」を使ってこの
偉業をなしとげたのだった。

 太平洋戦争時のカミカゼ特攻隊と、混同されたためか、この快挙は
戦後あまり多く語り継がれていない。
 しかし、当時あの英雄リチャード・リンドバーク大佐に並ぶ快挙を
成し遂げたのは歴史的な事実であり、日本の航空技術の名を高め、
合わせて国際親善の役割も果たした。

 「飯沼飛行士記念館」は、その飯沼飛行士の出身地である長野県豊科町
(松本市のすぐそば)に設立された資料館で、当時の様子を詳しく知ることが
できる。

 詳細は是非とも来館してご覧いただきたいが、
朝日新聞の記事に丁寧にまとめたものがあるので、この記事を
参考として掲載する。

朝日新聞30,000号記念記事より抜粋(昭和40年2月21日)

世界を驚かせた「神風」の壮挙


元朝日新聞論説委員 荒垣 秀雄


出発の昭和12年4月6日と、
世界記録樹立に日本中が沸き立った4月9日の新聞


 東京−ロンドンを結ぶ「神風」のアジアヨーロッパ連絡記念飛行の成功は、当時世界に大きなセンセーションをまき起こしたものだった。
 昭和12年の春4月に行われた空の快挙である。 若き美青年の飯沼正明飛行士と、彫りの深い端正な顔の紳士塚越賢爾機関士、この両鳥人が、東京からロンドンまで15,357kmを4日間94時間17分56秒で翔破(しょうは)したのだった。
 フランスを初めヨーロッパの空の勇士たちが何回も試みていずれも失敗したあとの大成功で、日本の民間航空の実力と朝日新聞の名を世界に示したものだった。

  ぼくはそのころロンドンに特派されていた。英帝エドワード八世(後のウィンザー公)が例のシンプソン事件で退位し、弟のジョージ六世(エリザベス女王の父君)の戴冠式(5月12日)に秩父宮殿下が天皇陛下の御名代で列席され、ぼくは随行してロンドンに行っていた。

 東京の立川飛行場を4月6日未明に離陸し、台北ビエンチャン、カラチ、バスラ、バクダット、アテネ、ローマ、パリを経て、4日目の9日午後3時半にロンドンのクロイドン飛行場に安着した。
 当時の駐英大使が吉田茂氏(後の総理大臣)で、令嬢の和子さん、正金ロンドン支店長加納久朗氏の令嬢が両勇士に花束を贈り、在留邦人が500人も飛行場に出迎えた。
 秩父宮の乗っておられる船のクウィン・メリー号がプリマス港サザンプトンに着いた十二日には「神風」機が上空に奉迎飛行をしたのだが、甲板には妙な大日章旗がひろげられていた。それは秩父宮殿下の思いつきで、二枚のシーツを縫いあわせ、衣装箱にかぶせてあった深紅のドンスを丸く切抜いて日の丸にしたものだった。
 両飛行士のもてかたは大変なもので、連日引っぱりダコ、街ではサインぜめにあい、ロンドン市長に招待されたり、前年に英国で初めて開局したばかりのロンドンのテレビ局に引っぱり出されてインタビューされたり、ちょうど来合わせていた太平洋横断の勇士リンドバーグ大佐と会見して握手をかわすなどの歓迎ぶりだった。
 親善飛行の使命もあったので、4月16日にロンドンを立ってベルギーの首都ブラッセルに飛行し、皇帝レオポルド三世に謁見したのを初め、ベルリン、パリ、ローマと空から歴訪して、ドイツではゲーリング空相と会見、パリでは空相から勲章を贈られ、ローマではムソリニ首相と会見、ローマ法王にも謁見するという有様で、各地ともえらい歓迎ぶりだった。
 飯沼飛行士は26歳、双葉山らとともに26歳男の三羽ガラスといわれた。二人ともとびきりの男前で、どこへ行っても憶せず、おごらず、挙措動作が立派だったので上流の方からも大衆からも大もてで、欧州中の人気をさらった感があった。

 さて、往路の記録樹立だけで任務が終わったのではなかった。 実は”隠された使命” があったのだ。 それは英帝戴冠式の模様を写した映画フィルムをいち早く空路輸送することである。
 せっかく素晴らしい偉業を成し遂げたのだから、万一にも帰路で事故を起こしたらとの心配は、だれしも心の底に抱いていた。
船で帰ればいいのにという声も多かった。しかし、新聞社の航空は何といっても「報道」が本命である。本人たちもその使命感が強く、断固として帰還飛行に踏み切ったのだった。
 フィルムを積んで5月14日ロンドン出発、途中8日間を費やして5月21日午後12時26分、大阪の城東練兵場に着陸、輝かしい亜欧往復飛行を見事に完遂したのだった。そして戴冠式の映画は朝日の独占で全国に上映された。
  「神風」という名は戦後あまり佳い響きを持たなくなったが、この機名は一般募集によって53万3000余の応募の中から東久邇宮が命名されたものであった。また往路飛行の所要飛行の懸賞募集で、474万5800余通のうち、一分一秒も違わずドンピシャリの的中が五人もあったということも珍しい記録であった。
荒垣秀雄 氏
評論家。明治36年生まれ。大正15年朝日新聞社入社。
英帝戴冠式特派員、社会部長、リオデジャネイロ支局長、マニラ総局長などを経て、戦後論説委員となり「天声人語」を
18年にわたり執筆した。第4回菊池寛賞受賞。朝日新聞論説顧問。

※ 記事内容は、読みやすさの観点から一部字句を変更してあります。ご了承ください。


「飯沼飛行士記念館」
長野県南安曇郡豊科町大字南穂高3888番地 電話:0263-72-9045

入館料 大人400円(高校生以上) 小中生100円  (団体割引10名以上)
開館時間 9:00〜17:00
駐車場 20台(バス2台)
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始


このページは「飯沼飛行士記念館」承認の上、リヒタフェルデ・プロジェクトにより作成されたものです。